歩いて世界一周するまでの話

3年後に徒歩のみで世界一周をします。

歩いて京都から東京まで行った話 【前編】

こんにちは。小野トロです。

これからは週に1回のペースで書いていこうと思います。

 

前回の投稿を読まれていない方のために軽く触れますと、

僕は、学校を作って、

日本の教育を変えて、

日本の社会を変えて、

終いには世界の問題まで解決してしまおう、

という夢を追っています。

 

その為に、世界を知る、そして世界の教育事情を知る。

その為に、歩いて世界一周の旅をする予定があります。

 

その夢と、その過程を出来るだけ多くの人に知ってもらおうと、ブログを開設した次第です。

 

さて、第2回の今回は、タイトルにもあるように、

僕が1人旅、そして歩き旅の沼にハマるきっかけとなった、

歩いて京都から東京まで行った時のことについて話します。

 

大学2年の夏休みでした。

総移動距離、約500キロ。

総移動期間、2週間の、真夏の旅でした。

 

これがスタート時、三条大橋近くの「高山彦九郎 皇居望拝之像」前にて撮影したものです。

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ご覧のように、胸には「京都〜東京、徒歩にて横断中」(今振り返れば横断という表現には少し

エスチョンが付きますが)というゼッケンを付け、

同じ言葉を書いたのぼりをバックパックに刺し、

「どうせしんどいことするなら、多少恥ずかしかろうが、とことん目立ってやろう」

の精神で敢行しました。

 

旧東海道の終点である京都・三条大橋をスタートし、始点の東京・日本橋までの道程を歩きました。

 

1日ごとの詳しい振り返りは省きますが、

1日目は、「え、すごーい!え、やばくない?あ、でも京都からってことはまだまだやーん」

と通りすがりの女子高生たちに言われ、闘志に火がついたのを覚えています。

 

ルートは基本的には国道1号線沿いを歩き、江戸時代の飛脚の気持ちを感じながら、

1日約10時間、約40キロのペースで歩きました。

初日で京都を出て、滋賀に入り、

2日目で三重に到達しました。

ここで早くも足の裏のマメが潰れました。

 

長時間歩くと、普段の生活では気にならないほどの靴と足の間の隙間から、擦れてマメになります。

そこでこの2日目以降は、靴下は2枚履き、足の指に綿を巻いて靴紐を目一杯キツく縛って歩きました。

こうすると隙間が無くなり、靴の中で足が動くことがないので、マメができることは減りましたが、

その分締め付けがキツくなるので、1日の終わりに靴を脱ぎ、締め付けから解放された瞬間に激痛が走ります。

 

足裏以外に大きな負担がかかるのが足首と膝。

これはテーピングを巻いて乗り切りました。

部活のマネージャー張りにテーピングが上手くなりました。

足への負担は、トレッキング用のストック、杖が大きく和らげてくれました。

彼がいなければ旅は途中で断念していたでしょう。

それくらい歩き旅においては大事な存在です。

 

加えて8〜10キロのバックパック

当然肩や背中にも疲労はやって来ます。

かといって炎天下の中、水を捨てるわけにもいかない。

これはもう気合いで乗り切るしかありませんでした。

 

2日目の三重県・関で泊まったゲストハウスがとても素敵な場所でした。

関という町自体、江戸時代の宿場町の風情漂う、素敵な町でした。

 

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3日目で四日市に到達。

4日目でついに愛知県に入りました。

 

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岡崎市では台風に見舞われ、道路標識が揺れ、木の枝が飛んで来た日は15キロのみでストップ。

 

愛知は、歩道橋が多くて膝がキツかった記憶しかありません。

 

正確には覚えていませんが、5、6日目くらいで静岡に到達しました。

通過した都府県の中では最も長い時間を費やした静岡、

この旅の中で最も思い出深い地となった箱根。

そしてゴールの地東京での話は次回に譲るとして、

前編の締めにこの話を。

2日目、三重県鈴鹿市を歩いていた時のことでした。

難所と言われる鈴鹿峠を前に、前述の足裏のマメ、膝の激痛に襲われ、ペースが落ちていた時。

声をかけてくれた人がいました。

その人は車で1度僕を追い越し、その後も気にかけていてくれたらしく、

極端にペースが落ちた僕を見かねて、

車を停め、僕が歩いて追いつくまで待って、

声をかけてくれました。

 

「歩くことに意味があるんやもんな。乗るのは悔しいよな。」

 

と言って

僕の気持ちを汲みつつ、

僕を乗せて、その日の宿に決めていた関まで送ってくださりました。

 

そのかたも昔、僕のように無茶な旅をしていたとのことで、

その頃のことを思い出して、声をかけてくれたそうです。

 

この旅で車に乗ったのはこの時の1度だけでした。

この時の恩義と悔しさが、旅を終えてからもずっと残っていたので、

翌年、京都〜関の区間だけ、もう一度歩きました。

 

人の優しさに触れた1度目の鈴鹿峠

あの頃の悔しさを拾いに行った2度目の鈴鹿峠

僕はどちらも好きです。

 

以上で旅の前編は終わりです。

次回は来週です。

静岡〜東京編です。

お楽しみに。

ありがとうございました。

 

小野トロ