大学を休学して日本を歩いた話 1
こんにちは、小野トロです。
更新が不定期になってしまい、申し訳ないです。
このブログは、3年後に歩いて世界一周の旅に出発し、
帰国後に学校を設立し、
日本の教育を改革し、行く行くはお国までも変えてしまおうぜ、
という若者の、その夢の過程を記録していくものです。
さて、前回は、京都から東京まで歩いて行った話をしましたが、
今回もタイトルの通り、またまた徒歩旅のお話をします。
京都から東京の際は、夏休みを利用しましたが、
1度歩き旅の魅力に取り憑かれてしまった僕は、長期休みを利用した旅では満足できなくなり、
「47都道府県を徒歩旅で制覇」
を目標に大学を1年休学することを決断します。
結果だけ先に言いますと、1年で47都道府県制覇は、叶いませんでした。
これから時系列で書いていきますので、その理由については後述することにします。
旅の序盤、つまり4月は実家のある京都からひたすら南下していきました。
京都市から宇治を経由し、奈良に入り、橿原市から明日香村に寄って観光を楽しみました。
明日香村はこの度の序盤で印象に残った場所の1つで、
最近は明日香村近辺、「飛鳥・藤原」を世界遺産に、という動きが盛んになっており、
観光地としても魅力的な村です。
その特徴が、なんと言っても飛鳥時代にタイムスリップしたかのような穏やかな風景と空気。
そして聖徳太子や蘇我氏についても知ることのできるお寺や史跡、古墳や壁画など。
風景と数々の文化財を、1日村を歩けば体感することができます。
さらに奈良を南下していき、
吉野では前日の大雨でSold Outした桜に肩を落とし、
黒滝村を通過し、
天川村へ。
ここでも素敵な出会いがありました。
奈良南部はとにかく山ばかりの険しい道のりで、人と出会うことも無く、辛い道のりでした。
辺りにお店や野宿できるような場所も見当たらず、途方に暮れていたところ、
後ろから軽トラが。
ヒッチハイクをしないことはルールとして決めていたので、
こちらからはアクションは起こさなかったのですが、
山道を人が歩いている光景は珍しかったからか、声をかけてくださり、
せっかくなので乗せていただくことに。
この方が天川村まで連れて行ってくださり、村の中を案内してくれたり、
数少ない食事のとれるお店の場所や、大峰山の話や役行者さんの話、修行の話や女人禁制の理由、鍾乳洞や温泉などの観光の情報など、色んな話をしてくださり、最後には村唯一の宿まで送ってくださいました。
そして、宿で荷物を整理し、教えてもらった温泉に向かうと、案内してくれた本人にすぐ再会。
その後また車で送ってくださいました。
ここで気になったのが、村で助手席に乗っていると、運転席のその人が、通り過ぎるほぼ全ての人に挨拶されたり、話しかけられしばらくそのまま世間話をするのです。
田舎ではこれが当たり前なのだろうか、とも思いましたが、
それにしても声をかけてくる人が多く、とにかくこの村で顔の広い方なんだな、という印象でした。
その人は次の日の目的地を僕に聞くと、じゃあ途中までまた送ってってあげるわ、と言ってくださり、
橋本まで送ってもらい、いよいよ別れの時。
最後に名刺をくださり、
「また天川に来ることがあったら連絡して」
と言ってくれました。
礼を言い、別れてから、もう一度名刺を見ると、
「議員」の肩書きが、、、
どおりで顔が広いわけだ。。。
たまたま山道で通りかかって声をかけてくれて色々教えてくださった親切な方が
議員さんだなんて、、、
慌てて無礼なことはしてないかな、などと考えましたが、別れた後なので、時すでに遅し。
そんなことよりも、
議員さんとは自分から言わず、高圧的な態度もなく、腰が低くそれでいて堂々とした
こんな月並みな表現では申し訳ないくらいに、
とても素晴らしい方でした。
あれから天川村には行っていないのですが、必ずまた帰りたい場所の1つです。
今回の話はここまで。
実は天川村に訪れたこの日。
僕の旅、そしてこの1年。
そしてその後の数年間を変えることになったと言っても過言では無いことが起こっていました。
話は前後しますが、次回はその、天川村に宿泊したその日に起こったことと
それからの僕の選択と取った行動についてお話ししたいと思います。
その日の日付は2016年4月14日。
ではまた次回。
ご拝読ありがとうございました。
小野トロ