僕の内面に起こった3つの変化 その③
このブログは、3年後に歩いて世界一周の旅に出発し、
帰国後に学校を設立し、
日本の教育を改革し、行く行くはお国までも変えてしまおうぜ、
という若者の、その夢の過程を記録していくものです。
前回までは、2016年の休学期間に、
歩いて日本一周への挑戦
山小屋での生活
熊本の震災
主にこの3つのターニングポイントを経て、
僕の内面にどういった変化が起こったかについてお話ししました。
その①と②を簡単にまとめると、
山小屋の特殊で過酷な環境での生活をきっかけにルーズな生活習慣を改善し、
日常生活に戻ってからも工夫を凝らし、自堕落な生活に戻らずに済んだこと。
そしてそれによって心に余裕が生まれたこと。
その「心の余裕」によって僕がどう変わっていったか。
今回はそのことについて話していきます。
結論だけ申しますと、心に余裕が生まれた結果、
「自分の生きる意味」というものを見出しました。
過程としては、
ルーティンワークの徹底により、
自由な時間が、恒常的に生まれる。
それによって自己対話の時間が増える。
それによって当然の疑問が生じました。
「自分は何のために生きているのだろうか?」
自分を深く知る。
「自知」の作業を、その時の僕はしていたのだと思います。
その問答の結果出た答えは、
「誰か(何か)に優しくする」ということです。
何か、と書いたのは、ヒトだけに優しくするのではなく、
ヒト以外の生物や物に対しても優しくしたいからです。
このことから、僕が心優しい善人ですよ、とアピールしたいということではありません。
自己対話において
「誰か(何か)に優しくする」
という心の状態が、1番気持ちの良い状態、精神衛生上心地いい状態であるという結論に辿り着いた、それだけのことです。
自分の生きる意味、1番の根源にあるもの、それがはっきりしました。
あとはそれに少しづつ段階を経ながら具体性を付けていく作業だけでした。
ヒトという生き物は、
自分の1番気持ちのいいマインドセットで、
1番気持ちのいい場所で、
1番好きな人たちといる時間に、
1番自分の好きなことをすることで、
最大限のパフォーマンスを発揮するのだと思います。
それらが何なのか、見極めないと、
自分が何をして生きていきたいのか、どう死んでいきたいのか、
どんな仕事を、どんな人たちとしたいのか、
その結果どんな人に笑顔になってほしいのか、
何もわからないまま生きていくことになります。
夢が無い、目標が無い、やりたいことがない、
と嘆く前に、しっかり自己対話して、
自分が何を好きなのか、何を大事にして生きているのか、何をして生きていきたいのか
見極めるべきだと思います。
目標がはっきりしてからの僕は、とても幸せです。
僕の生きる意味「誰か(何か)に優しくするために生きる」
このことが何故、「教育改革をして世界を変える」という僕の目標に繋がるのか
という話を、次回書きます。
次回もお楽しみに。
今回もご拝読ありがとうございました。
小野トロ